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岡たかおの「岡目八目」

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2007年10月の31件の記事

2007年10月21日 (日曜日)

ローソン新潟大学店

情報処理技術者試験を受験するため、会場の新潟大学五十嵐キャンパスに行ってきました。先日、キャンパス内にローソンが開店しましたが、実際に行ってきました。外観から、店舗はこじんまりした印象を受けましたが、中に入ってみれば一般的なコンビニの広さでした。販売しているものも、ほかの店とあまり変わりません。大学の福利厚生施設としての機能もあり、学生ラウンジ、コミュニティホールも併設されています。その分、開放的な感じがしました。

2007年10月20日 (土曜日)

J1第29節 川崎フロンターレ×アルビレックス新潟

J1第29節、アルビレックス新潟は、アウエーで川崎フロンターレと対戦しました。
前半20分、先制したのは川崎でした。その5分後の前半25分、FWエジミウソンのゴールで、すぐに同点に追いつきました。しかし、前半38分、前半39分と、立て続けにゴールを奪われ、前半は3対1とリードを許してしまいます。後半11分、DF千代反田のゴールで、追い上げます。さらに、後半20分、MFマルシオ リシャルデスのゴールで同点に追いつきました。後半は無失点におさえてきましたが、ロスタイム、痛恨のゴールを許してしまい、結局4対3。激戦を勝利で飾ることができませんでした。
順位は、後続のチームも揃って敗れたため、6位と変わりませんでした。次節は10月27日(土)、ホームでジュビロ磐田と対戦します。

2007年10月19日 (金曜日)

市立中等教育学校

近年、新潟県内で中高一貫の学校が設立されています。中等教育学校といい、現在、5つの県立学校があります。新潟市でも、市立の中等教育学校が平成21年度に開校します。現在の高志高校の校舎を使います。新潟市では、その中等教育学校の校名を募集します。「新潟市立新潟中等教育学校」ではなく、新潟市らしい校名がつけられたら素晴らしいことだと思います。でも、新潟市に「新潟市立新潟中学校」は存在しないので、「新潟市立新潟中等教育学校」という校名でも、かぶらないから別にいいのかなとも思いました。

2007年10月18日 (木曜日)

北信越BCリーグシーズン終了

北信越BCリーグの全日程が終了しました。優勝は石川ミリオンスターズでした。石川は、「日本独立リーグ・グランドチャンピオンシップ2007」に出場し、四国アイランドリーグの年間総合優勝チームの香川オリーブガイナーズと対戦します。
優勝した石川の今シーズンの成績は、72試合で43勝22敗7分。2位の富山サンダーバーズは、43勝26敗3分。勝ちの数は同じく、引き分けの数で差が出ました。3位の信濃グランセローズは31勝35敗6分。負けた試合数が勝った試合の数を上回りました。そして、最下位の4位の新潟アルビレックスBCは、18勝52敗2分でした。
北信越BCリーグは、今シーズンから始まったばかりのプロ野球独立リーグ。チームの力の差はそれほどないと思われていました。しかし、「2強1弱1問題外」と、はっきりチームに差が表れました。新潟の後藤監督は、選手の育成に力を注いだということです。その考えは決して間違ってはいないのですが、差が開きすぎました。後藤監督の来シーズンの続投が決まりました。この差が埋まることを期待します。
北信越BCリーグは、来シーズンから福井と群馬が加わり、6球団となります。「北信越」の枠を越えることから、「BCリーグ」と名称も変わります。そういう意味では「北信越BCリーグ」は今シーズン限りです。また、リーグ名のネーミングライツを募集していますが、まだ決まったという発表はありません。

2007年10月17日 (水曜日)

深夜の地震

深夜、地震で目が覚めました。また、大きな地震のように感じました。時計を見たら、午前2時04分でした。ところが、思ったほどの揺れはなく、静寂に包まれていました。テレビをつけてみると、地震速報のスーパーが出ていました。
午前2時03分ころ発生した、中越地方を震源とする地震でした。マグニチュードは3.7。小千谷市で震度4を観測しています。新潟市では震度1以上の揺れは観測されていません。目が覚めたときに感じたのは、P波(初期微動)だったのでしょうか。

2007年10月16日 (火曜日)

NHKデジタル総合2

中越沖地震から3箇月がたちました。NHK新潟では、20時から「特集 中越沖地震から3か月 復興への道は」を放送しました。この時間帯は、普段は「NHK歌謡コンサート」を放送していますが、新潟では明日の16時05分に放送することになっています。ところが、地デジでは同じ時間帯に2つの番組を放送する「マルチ編成」としたため、デジタル総合1(011ch)では地震特番、デジタル総合2(012ch)では歌謡コンサートを見ることができました。総合テレビではスポーツ中継の延長などでマルチ編成を組むことがありますが、ローカル放送と全国放送とをマルチ編成するというのはめずらしいことだと思います。普通は、ローカル番組を放送する時間帯に編成するのですが、地震から3箇月目という節目のきょう放送することに意味があるという、特殊な事情があったのでこうしたものと思います。アナログ放送が終了するころになると、こうしたマルチ編成も増えてくると思います。

2007年10月15日 (月曜日)

裏日本

本州の日本海側で初めて政令指定都市となった新潟市。この、「本州の日本海側」というのは、かつては「裏日本」と呼ばれていました。それに対し、太平洋側を「表日本」と称していました。「東日本」と「西日本」のように、日本を二つの区域に分けるひとつの方法です。「表」があれば「裏」もあります。冬も比較的温暖な太平洋側と雪に閉ざされる日本海側とに分けるとします。東京がある区域を「表日本」とすれば、新潟県を含む北陸地方や山陰地方は「裏日本」となります。ところが、「裏」というとネガティブに受け取られかねないため、近年ではこうした表現はしないようになっています。

新潟県は、その「裏日本」の代表のような地域ですが、明治期までは日本で最も人口の多い府県でした。日本人の主食であるコメの一大生産地であったため、人手が多く必要だったからと言われています。人口規模では東京より新潟の方が多かったわけですから、その気になれば大都市を建設できたはずです。しかし、そうならなかったのは、東京を中心とした国家作りが行われたからでしょう。東京が「表」で、新潟は「裏」だと。その後、次第に東京に人口が集中しはじめ、新潟県の人口比率は減っていきました。都会へ移った人も多いと思いますが、北海道や大陸などに開拓しに行った人たちも多いと思います。

「裏」というと、「裏方」という言葉のように、「縁の下の力持ち」という意味もあります。まさに、新潟県は「縁の下の力持ち」です。東京などの都会の企業に就職して労働力を提供しています。コメや酒など食糧を供給しています。天然ガスや電力などのエネルギーも供給しています。研磨など世界的に一流の技術も提供しています。どれか一つが絶たれても、東京などに大きな影響が出てしまいます。それは、中越沖地震で被災して操業が停止した原発や自動車部品工場の例をみても分かります。こうした様々なものを提供して、その見返りとして、生活をしていくための収入を得ています。それが絶たれるようであれば、新潟県はやっていけません。つまり、「表裏一体」で成り立っているわけです。

結局、新潟県をはじめとする「裏日本」は、「表舞台」に立たなかったわけです。首都機能としての東京が中心であり、「表」であるわけです。しかし、これからは地方の時代。「道州制」や「連邦制」など、複数のブロックに分ける可能性もあります。そうなると、「表」か「裏」かの二つに分けるのではなく、いくつかの「面(おもて)」に分けることになります。

2007年10月14日 (日曜日)

黒川紀章さんの作品

12日、建築家の黒川紀章さんが亡くなりました。晩年は都知事選や参議院選に出馬するなどの活動をし、テレビ番組にもよく出演されていました。建築家としては、国際的な活躍をされていましたが、その作品は新潟県内にもあります。新潟市南区(旧白根市)に本社のある、仏壇・仏具展の「吉運堂」です。本社ビルや支店など、黒川氏の設計です。吉運堂の沿革には、そう書かれてあります。また、新潟市北区(旧豊栄市)のJRA新潟競馬場の「アイビススタンド」も、黒川氏の設計によるものです。新潟市中央区美咲町の「新潟美咲合同庁舎1号館」も、黒川氏の設計事務所が設計を担っています。

2007年10月13日 (土曜日)

初戦敗退

秋の北信越高校野球大会では、新潟県から3校出場していました。ところが、きょうの1回戦で、3校とも敗れてしまいました。来春のセンバツ出場は絶望的で、連続出場は難しそうです。

2007年10月12日 (金曜日)

りゅーとリンク

新潟市が11月から運行を開始する基幹バスの愛称が決まりました。
愛称は市が募集していましたが、応募の中から、「りゅーとリンク」が選ばれました。「りゅーとぴあ」や「柳都大橋」のように、「柳都」にちなんだ愛称となりました。
これで、新潟市が計画しているスケートリンクの愛称は「りゅーとリンク」ではなくなりました。「スワンリンク」とかほかの名前にならざるをえませんね。