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岡たかおの「岡目八目」

カテゴリ「新潟市」の333件の記事 Feed

2006年3月13日 (月曜日)

弥生寒波

「三寒四温」という言葉がありますが、最近はそんな天候です。春の陽気になったと思ったら、真冬に逆戻り。気温が下がるだけではなく、大雪が降り、吹雪くほど。一週間ほど前から雪の予報は出ていましたが、これ程の大雪だとは思いませんでした。

雪が全くなかった新潟市も、一時積雪14cmになりました。車のタイヤを交換していた人にはお気の毒だったことでしょう。

2006年3月 2日 (木曜日)

青いシャベル

新潟市の冬の風物詩のひとつに、「青いシャベル」があります。冬になると、バス停や信号交差点の近くに、青く塗装されたシャベルが備え付けられます。これは、バス待ちや信号待ちの間に、ひとかきでも除雪を手伝ってくださいというものです。「ひとかき運動」などと呼ばれているようです。新潟市の中心部はそれ程雪が積もらないので、この青いシャベルが使われることはほとんどありません。実際、使ったこともないですし、使っている人を見たことがありません。

3月になって、この青いシャベルは撤去されたようです。青いシャベルがなくなると、それは春の訪れでもあります。でも、夜になって、路面が白くなるほど雪が降りました。

2006年3月 1日 (水曜日)

新潟市道路元標

新潟市の本町交差点に、「新潟市道路元標」という石柱20060301 があります。これは、大正時代に当時の道路法や内務省令により建てられたものとされています。現在でも、国道の起点および終点とされています。

この交差点から新潟駅方向は国道7号線、その反対方向は国道116号線です。実際に道路標識もそうなっています。しかし、ここは7号と116号の基点だけではありません。起点として7号・8号・113号・289号・350号、終点として17号・116号・402号となっています。一本の道路で何本かの国道が重複しているわけで、道路標識にはその中で番号が一番若いものが使われているのです。道路標識が7号となっていても、そこは8号・17号・113号・350号でもあります。同じように116号となっていても、そこは289号・402号でもあるわけです。

それでは、国道49号線はどうなのでしょう。49号はここが起点でも終点でもありません。実は、栗ノ木橋交差点が起点となっています。この地点は、403号の起点でもあり、459号の終点にもなっています。また、国道345号線の起点は、万代の東港線十字路となっています。

2006年2月26日 (日曜日)

第8回にいがたマンガ大賞フェスティバル

昨日と今日の2日間、新潟市のりゅーとぴあで、第8回にいがたマンガ大賞フェスティバルが開催されました。今日は、第8回にいがたマンガ大賞の表彰式やパネルディスカッションが5階の能楽堂であり、見に行って来ました。

表彰式には、篠田昭新潟市長、水島新司先生、魔夜峰央先生、土田雅之にいがたマンガ大賞実行委員会会長がプレゼンターとして出ていました。

パネルディスカッションは、「赤塚不二夫を語るのだ!」というタイトルで、新潟市に縁のある漫画家・赤塚不二夫先生(現在療養中)の幼少の頃から最近のことまで、様々な角度から意見が飛び交いました。パネリストは、担当編集者の経験もある元小学館の武居俊樹氏、元アシスタントで「釣りバカ日誌」の作画で有名な北見けんいち氏、フジオ・プロダクション代表取締役で奥様でもある赤塚眞知子氏、そして新潟市長篠田昭氏。コーディネーターは、小学館情報誌編集局チーフプロデューサーで新潟出身の熊谷玄典氏。サプライズゲストとして、「釣りバカ日誌」原作者のやまさき十三氏も飛び入り参加していました。

4階のギャラリーでは、今回の受賞作品、新潟出身の漫画家によるイラスト展、山田航暉先生と小川悦司先生の原画展が開かれていました。

2006年2月24日 (金曜日)

区名意識調査

新潟市の区名意向調査が今日から始まりました。先日決まった区名の候補から、どれがいちばん区名にふさわしいかを調査するものです。原則として、最も応募の多かった候補が選ばれますが、全市的な整合性を考慮して審議会で選定して答申するものとしています。整合性とは何を意味しているのかわかりませんが、「西」と「西蒲」と「阿賀西」、「南」と「江南」または「湖南」、「東みなと」と「東」または「港」など、似たような組み合わせになった場合調整するということでしょうか。または、1位と2位の票数がほぼ同数になった場合を考慮しているのかもしれません。

新潟市に住んでいる小学生以上の人が応募できます。8区すべてについて選ぶこともできますし、任意の区のみ選ぶこともできます。1つの区に対して2つ以上または2回以上応募すると無効になるなど注意事項があります。応募期間は3月9日までです。

2006年2月16日 (木曜日)

新潟~神戸線就航

今日、神戸空港マリンエアが開港しました。新潟-神戸線も就航しました。一日二往復。航空会社はいずれもANAで、プロペラ機で運行されます。神戸はもちろん、中国・四国地方へのアクセスに便利です。

神戸も新潟も、「安政の開港」の五港の中に入っています。その二つの都市を結ぶ航空路ということで、新たな歴史の始まりということになります。

2006年2月15日 (水曜日)

新潟市区名候補決定

新潟市の区名候補が決定しました。各区とも5つの候補が出ました。今月の24日から意向調査が実施されます。

各区の区名の候補は次の通り。

  1. 阿賀北、北、豊浜、東みなと、豊
  2. 阿賀西、旭、通船、東、港
  3. 中央、中、白山、万代、柳都
  4. 芦原、梅田、江南、湖南、瑞穂
  5. 秋葉、金津、さつき、美咲、緑
  6. 果豊、南、みのり、桃花、若葉
  7. 汐美、新川、西、文教、美浜
  8. 角田、多宝、西蒲、穂波、美郷

1区の「豊北」が「東みなと」に、2区の「港東」が「東」に、3区の「信濃」が「中央」に、5区の「新須」が「金津」に、7区の「夕映」が「西」に変更されました。これにより、東西南北と中あるいは中央の5区が誕生する可能性がでてきました。また、「西」の字が3つあります。「阿賀西」・「西」・「西蒲」の3区が誕生する可能性もあります。

その区に住んでいる人にとっては、自分の家の住所になるわけですから、書きやすい字を選ぶのではないでしょうか。そこで、書きやすそうな候補を選んでみました。

  1. 梅田 or 江南
  2. さつき
  3. みのり
  4. 西
  5. 角田 or 西蒲

4区の「梅田」と「江南」は同じ画数。8区は「角田」が最も画数は少ないですが、この地区は旧西蒲原郡なので、「西蒲」と書きなれていると思うのであげてみました。

東西南北・中・中央は使わないで、町丁名との重複は選ばない方が良いと思います。3区は「柳都」となって欲しいです。それでも、その地区に住む人たちの意見も尊重しなければなりません。5区で「新津」を推した人たちは、この候補のなかからどれを選ぶでしょうか。

こうなるのではないか、というものを最後に挙げておきます。

  1. 阿賀北
  2. 中央
  3. 江南
  4. みのり
  5. 西
  6. 西蒲

2006年2月 9日 (木曜日)

右折禁止と一方通行

新潟市の中心部の道路は、右折禁止と一方通行が多いと言われています。最近は徐々に緩和されてきていますが、それでも初めて新潟市を訪れた人は戸惑うこともあるでしょう。タクシーの運転手さんも、わざと遠回りをされていると思われることがあるかもしれません。右折禁止と一方通行が多いので、近いところへ行くにも、ぐるっとまわらなければならないことがあるのです。

道幅が狭い道路が多いので、そういった場合は一方通行でも仕方がないでしょう。ところが、「西堀通り」と「東堀通り」は、四車線分の道幅がありながら、一方通行となっています。この二本の通りで一対となっているので、ここを通るバス路線は、往路と復路で停留所が異なります。

初めて新潟市に車でお越しの際は、事前にルートを充分確認してください。

2006年2月 6日 (月曜日)

「新津区」

政令市移行後の行政区の名称を審議している新潟市行政区画審議会で、区名案に旧市町村名を含めないことが決まりました。もともと旧市町村名は候補に含めないということに決まっていましたが、旧新津市の住民から、「新津」を区名案に入れて欲しいという強い要望があり、再審議することになりました。同じ区となる旧小須戸町側は反発。他の地域にとってもでも、一度決めたことを覆すとは何事だということになりました。「新津」を許せば、他の地域でも旧市町村名を許さなければならなくなります。最後は審議会の多数決で決めたようですが、旧市町村名を含めないとする意見が多数だったようです。

名称で紛糾するケースはめずらしくありません。新潟県北地域の、村上市と岩船郡の合併が白紙撤回されたのも、新しい市の名称を巡ってのことだと思います。旧新津市の住民は、今後どうするでしょうか。このまま審議会の決定を素直に受け入れるのでしょうか、それとも住民運動を起こして「新津区」を勝ち取るまで断固戦うのでしょうか。

区名にならないからと言って、地名に残らない訳ではありません。新潟市の一員ということを決して忘れて欲しくありません。

それでも「新津区」にこだわるのであれば、新津地区を新潟市から再分離させるしかありません。

2006年2月 1日 (水曜日)

「めぐみちゃんと家族のメッセージ 横田滋写真展」

1月26日から31日の6日間、「めぐみちゃんと家族のメッセージ 横田滋写真展」(あさがおの会、新潟日報社、朝日新聞社主催)が、新潟市の新潟大和で開かれました。拉致被害者・横田めぐみさんの父・滋さんが撮影した家族の写真展で、東京有楽町、立川市に続き3回目の開催が拉致現場となった新潟市となりました。

会場入り口には、拉致された直後に北朝鮮で撮影されたと言われる写真の特大パネルがありました。会場内には大勢の人が訪れていました。その数は6日間で2万5千人に達したそうです。めぐみさんが幼い頃から中学1年生までの写真がありましたが、その中でも特に、小学6年生のときに新潟市に転校してきた頃の写真の前が、最も多くの人が集まっていました。もう身動きがとれない程でした。滋さんが撮影した写真以外にも、行方不明となった現場の写真や、その後の家族会の活動状況などを紹介するパネルなども展示されていました。ビデオも上映されていましたが、大勢の人であふれていました。

新潟市内の当時の写真を期待していましたが、その時期の写真で展示されていたのは、既にテレビ・新聞・雑誌で見たものばかりでした。数はあったのですが、それだけ今までも公開していたということです。

この写真展の隣には別の写真展がありました。中越大震災と復興の写真展でした。一昨年の地震発生直後から、今年の正月の写真までありました。こちらの写真展もついでというか、流れにそって見てきました。なお、どちらの写真展も入場無料でした。

大和に行くのは久しぶりでした。エスカレーターが妙に懐かしかったです。